今回ご紹介するのは古事記についてです。712年に成立した日本最古の歴史書、というのは一般常識ですからご存じかと思います。

わたしはもともと歴史が好きで、くわえて生来の性癖からくるものなのか、神秘的なものにハマってしまうのです。

具体例をあげると神話といったものや、「ロード・オブ・ザ・リング」のような架空のファンタジーというものでしょうか、そういったものが好きなのです。

そのため現実とファンタジーが混ざり合ったような古事記の世界も、水があったためすぐさまハマってしまったのかもしれません。

きっかけは日本神話の研究をしている戸部民夫氏が書かれた、『日本神話 神々の壮麗なるドラマ』という本を読んだことです。

この本はファンタジー世界の紹介をするシリーズの1冊として出版されたものだったのです。主要な購読層はゲームの好きなティーンを対象としていたため、非常にわかりやすく書かれているのです。

この丁寧に作られた本を読んで、わたしはいっぺんに日本神話の世界にハマってしまったのです。そのあとは怒濤の勢いで古事記そのものを読んだりしていました。(ただし現代語訳もついているものを読みました)

古事記とは

『古事記』とはなにか、ということから始まりますが、あらためて紹介しておくと、7世紀後半の天皇である天武天皇(かつての大海人皇子、壬申の乱で有名です)が稗田阿礼(ひえだのあれ)に暗誦させたものを、天武天皇の死後に即位した、その妻の元明(げんめい)天皇が大安万侶(おおのやすまろ)に命じて編纂させ、上つ巻・中つ巻・下つ巻の3巻の構成で表された書物です。

……といってもこんなに漢字ばっかり並べたら、訳がわかりません。

かみくだいていうと、天皇家はどのように成立し、そして現在この日本を統治するに至ったか、ということを文書にしてまとめた、いわば天皇の由来をはっきりさせるのにくわえ、天皇が国家統治をすることの正当性をあらわす目的で書かれたのです。

なお、古事記には、上の巻は神様の世界のさまを描いた神代の話、そのあと中つ巻はヤマトタケルの冒険譚を代表とするような、各地を平定していくさまが描かれています。

これは、かつて各地に反乱勢力として存在していた、別の豪族らを平定していくさまをなぞらえたものだとされています。

下つ巻は仁賢天皇から推古天皇までと、古事記が編纂された年からそう離れてはいない時期に活躍した天皇のことが書かれています。

あまり詳しくは書かれていないのですが、これは当時、これらの天皇の活躍は記述しなくても自明の理として功績が残っていたため、あえて記述しなかった、という説があります。

上つ巻の神話の巻が本当に面白くて好き

古事記なのですが、その魅力は上つ巻の神話の巻にかなり集約されている、と言っても過言ではありません。

神様があれこれ入り乱れて、様々な事件がおこる様子は本当に面白いのです。日本の神様は多神教ですが、多神教の特徴なのか、神様と言っても非常に人間くさい点が面白くてしかたがないのです。

たとえると、ギリシャ神話のノリに近いといえます。ギリシャ神話は主神のゼウスからして、浮気をしまくる+恐妻家の神様というこれ以上ない人間くさい神様なのです。

わたしがとりわけ好きなのは、スサノオの冒険譚、といって差し支えないと思いますが、これらの話が大好きです。

最初邪神(国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)の説による)であったスサノオが、高天原(たかまがはら・わかりやすく言うと神様の世界です)を荒らしまくったあとに追放され、出雲、つまり現在の島根県のあたりをうろうろしていたら、ヤマタノオロチに生贄にされそうになっていた娘をみつけて、こんどはその娘を助けるため大暴れし、それによって善神となる、という一連のストーリーがあります。このヤマタノオロチの物語はいまさら説明するほどもないくらい、有名です。

他にも七福神でいう大黒様の、大国主命(おおくにぬしのみこと)の話など面白い話はほかにもたくさんあります。

敷居が高いと思われがちだけど、そんなことはない!

古事記は現存する日本最古の歴史書でもあります。ですが、こう言うと、やはりオカタイ話だと勘違いされて、逃げていってしまう人が大半です。人間に例えると外見でソンをするタイプです。

ですが、最近は分かりやすい現代語訳のほかにも、マンガで解説しているとっつきやすい本もあります。

無料で読むならば、青空文庫に鈴木三重吉氏が書き表した『古事記物語』という分かりやすい現代語版の物語もあります。まずこれで下地を作っておくのもいいかと思います。

ただ気をつけたいのは、『古事記物語』は、はぶかれたエピソード(イザナギとイザナミの第一子である、ヒルコを葦の船で流すエピソードなど)がいろいろありますので、これはあくまで基礎づくりのための下地材料に留めておき、読了したら別の詳しい本を読むことをお薦めします。

読み進めると、神様の名前の魅力もわかってくる

あとは神様の名前が長く、分かりにくいことも古事記から人が遠ざかっていく理由です。

神様の名前というのも一定の法則があるので、ですが読み進めていき、その由来が理解できると神様の名前ほど魅力的なものはないと思います。

難しく考えず日本の神様の話の面白さを味わおう!

なお、古事記の上つ巻はイコール神話、という形で考えて構わないと思います。しかし、最近はこれらの話を知っているひとも本当に少ないです。

たとえば、古事記でもっとも有名なエピソードである、「因幡の白兎」の話も、学生さんあたりは「知らない、なにそれ?」と返してくる人が多いのです。

それにしても、古事記を実際に読んでみればこれほど面白い伝奇物語もないとわたしなどは思っているのですが。なんといっても神秘的な空気と、元気いっぱいな神様の物語がひとところに集められているのですから。

とはいえ、日本神話は、たまにマンガやゲームの元ネタになっていたり、最近はヤタガラスが勝利の神様として日本サッカーチームのマークなどになったりしているので、知らず知らずのうちに部分的に日本神話を味わっていたりするのが、今の日本のよくわからないところです。

まあ、日本の神様は大味なところが魅力の一つだったりしますので、慕い敬うのならばそれはそれでよし、としているのかもしれません。なんだかとても面白い話です。

それに、日本の神様同士だと、争いというものの決着も最終的には戦いではなく、話しあい、もしくは何らかの儀式で決着することが非常に多いようになっています。

ときどきは、祟りで禍いが起こったため、その御霊をなぐさめ、神として崇め奉った、という話がありますね。馴染み深いところで藤原氏に追放された菅原道真の例が分かりやすいでしょう。菅原道真は藤原氏に追放されたのち、雷神と化して祟りを振りまいたことは有名すぎる話です。

これは人間と人間の争いで起こったゆえの祟りですから、神様のような穏便な決着方法とはいささか違ってくるようですね。やはり神様より、人間のほうがタチが悪いと言えるかもしれないです。

まとめ

それにしても幸せだな、と思うのは、現代のわたしたちは古事記を純粋な物語のひとつとして読むことができることだと思います。古事記は文学的な価値というものも非常に高いものだとされているからです。

最古の歴史書だとか、変態漢文で書かれた最初の書だとかいろいろありますが、はじめは一切難しいことを考えなくていいと思います。難しく考えると古事記の魅力が半減してしまうような気がします。

だから、それこそ現代語訳でもマンガでも、絵本でもなんでもいいので、古事記のエピソードをを味わってみてほしいと思います。こんな面白い話をほおりなげたままにしておくなんて、勿体ないことこのうえないといえます。